画像電子学会
The Institute of Image Electronics Engineers of Japan
  年次大会予稿
Proceedings of the Meida Computing Conference

犯罪者のトレーシング
Tracing of Criminals

− 過去・現在・将来 −
− Past, Present and Future −

西村 春夫
Haruo NISHIMURA

常磐大学被害者学研究科    Graduate School of Victimology, Tokiwa University

1. 序

今まで犯罪学,刑事司法政策学においてはトレーシングという語を使ってこなかった。ではそのような概念がなかったかというと,そうではない。同類の概念としては,追跡(follow-up),予後(prognosis),コホート分析,発達犯罪学(developmental criminology),違反行動の監視(monitoring)などがある。これらに共通して言えることは,先ず犯罪,非行,社会的逸脱行動を定義し,犯罪者個人か,犯罪者集団のひとり一人を対象にして,彼らの犯罪的所産を記録することである。トレースの対象は,犯罪者という実在人,犯罪情報,及び人の中に存在するとされる犯罪性という概念構成物である。以下,犯罪学的,刑事司法政策学的研究においてトレーシングがいかなる目的で利用されてきたか,過去,現在,将来に分けて論じる。

2. 過去

再犯,非行化の予測研究,犯罪者の生涯の犯罪パターン研究の道具としてトレーシングは用いられた。

(1)一般少年の非行化要因の決定のための追跡

今次戦争の直後,グリュック夫妻の非行の早期予測研究が日本の犯罪学にもたらされた(文献2)。それまでの経験知による推測と画期的に異なっていたのは,

である。社会的背景,心理検査による性格特性,精神医学的人格特性から作成された3種類の,5因子から成る予測表が成果である。社会的背景5因子とは, である。

(2)再犯の危険因子の決定のためのトレーシング

警察で検挙した少年にどういう処遇意見を付して家庭裁判所に送致するかは少年警察の役割であり,刑務所や少年院などの施設を出た人が再犯するかどうかは施設側の関心事である。とくに仮釈放,仮退院の審査に当たって判断材料が必要である。ある程度科学的証拠をもって行うとすれば,再犯の危険因子を知っておく必要がある。たとえば,臨床医学で心筋梗塞の危険因子を知るのと同じ考え方である。釈放前に多くの項目(生育環境,性格,社会環境,施設での行状など)を予め調べてデータとして残しておき,釈放後一定期間追跡し,再犯群と非-再犯群に分け,両者を判別する有効変数を統計的に抽出する(文献1)。この線で警察庁が研究したのは男子初犯少年の「非行危険性判定法」旧版の改正案である(文献4)。予測7因子は,

である。

(3)個人の生涯に渡る犯罪パターンを識別するための回顧的トレーシング

精神医学者吉益脩夫は犯罪生活曲線という犯罪パターンを考案した(文献5)。西村らは警察庁に保管されている指紋原紙を用い,昭和7年3月と9月生まれの犯歴保有者(男性1347,女性247,調査時45歳)を全数抽出し,犯罪パターンを分析した。

(4)犯罪・非行の年齢コホート分析や発達犯罪学で使われる長期縦断的な(longitudinal)トレーシング

生年を同じくする子どもを集め,ひとり一人を10年,20年と追跡し,その間,犯罪・非行の生起と終息を記録し,一方,様々な生活状況の変化を記録,分析し,犯罪や非行におちいる条件,終息する条件を明らかにする。米国ではデンヴァー,ロチェスター,ピッツバーグの3研究,英国ではケンブリッジ研究である。日本にはこの種の研究は行われていない。

3. 現在

犯罪者のトレーシングの現在を論じる時,リスク社会という文脈のなかで論じる必要がある。リスク社会という社会的メッセージが大衆に盛んに発信されているからである。リスクは元々,特定の犯罪者の犯罪におちいる危険性(一旦刑事司法に継続した者が再犯する確率を危険性と称する),または被害者の被害に遭う確率を指していたが,今は以下のような大きな社会問題との関連で使われる幅広い概念となりつつある(文献7,一部筆者追補)。「リスク社会」はレトリックとして現今過剰使用されるのである(文献8)。

これらの社会問題の存在は地域的,社会的,国家的,世界的な統制の失敗から来るものだと説かれ,その結果人々は生命や生活が脅かされる危険状態つまりリスクに直面しているという認識を持つに至り,感情反応として,不安,恐怖を高める。不安や恐怖への対処としては,

(5)大衆の不安恐怖を低減させるためのトレーシング

不安,恐怖感情を低減させるための方法の一つとしてトレーシングシステムの構築,その結果の公表がある。トレーシングが有効な領域がある。食材履歴の追求,国民の病歴管理の一元化,テロリストの履歴追跡などのシステム化が図られる。

(6)犯罪者,非行少年の処遇効果の評価のためのトレーシング

アメリカで,1937から1947にかけて行われたケンブリッジ−サマービル青少年研究が著名である。地域の不良化傾向のある子どもを2群に分け一方に心理的,社会的ケアを実施し,他方に何もしないでおいて,8-10年後の非行率を算定した。予想に反し,処遇の有効性は検証されなかった。現在日本の刑務所ではたとえば,性犯罪再犯防止,薬物依存離脱指導を行っているが,処遇効果の追跡的研究は行われていない。

(7)行動監視のためのトレーシング

自己申告,規則順守の強制,電子監視,カメラ監視,諜報活動,GPS使用などにより常時あるいは適時に行動監視と映像の記録化を行う。目的は,ルール違反の発見と即時介入,危険な犯罪者の所在確認,ルール違反の事前抑制,被害の予防,一般的不安や恐怖の低減,犯人の識別,居宅での拘禁制とされる。

監視の対象は,施設内の収容者の挙動,釈放された犯罪者の生活行動,オープンスペースにおける人々の行動,特定域内の行動である。

4. 将来

1) トレーシングのコスト−便益分析を行う。刑事司法への経営管理思想の導入と軌を一にする。

2) 時代は,法の支配→予測可能性社会→リスク社会→広範囲トレーシング→安全安心というサイクルで高速で動く。このサイクルを断ち切るか,逆転させる。

3) トレーシングにおいて公益と私益の葛藤,安全の獲得という目的がどの程度,手段を正当化するか。

文献