ISO/IEC JTC1におけるHTMLの作業は, 1996年5月のSC18/WG8会議で国際規格化への要求が提出され, 1996年10月を期限とするNP(新作業課題提案)投票が行われたことから開始された。このNP投票では, 日本はコメント付き賛成を投じた。投票結果への対処は1996年11月のSC18/WG8会議で審議され, そこでプロジェクトエディタが指名された。
1997年2月にエディタは,SC18議長を介して各国とリエゾン組織とからHTMLエキスパートを招集し(日本からは3名が参加), オンライン会議を行って, CD(委員会原案)を用意した。1997年7月を期限とするCD投票では, 日本は, W3CのHTMLと異なる部分があることを理由に反対した。1997年12月のJTC1/WG4(JTC1の再構築に際してSC18/WG8の作業を引き継いだ暫定組織)会議では, この日本の姿勢が歓迎され, CDテキストを大きく修正してW3CのHTML勧告をそのまま参照する体裁にすることがエディタに指示された。このときCDテキストから削除された記述の多くの部分は, User's Guide to ISO/IEC 15445という出版物[6]として公表されることになった。
1998年7月には修正案がプロジェクト内でのレビューを受け, そのコメントを反映したFCD(最終委員会原案)テキストが各国に配布されて,1999年2月を期限とするFCD投票が行われた。日本は, CD投票時の要求が受け入れられたので, 編集上のコメントを付して, 賛成を投じている。FDIS(最終国際規格案)投票は1999年11月を期限として行われた。日本はそれまでのコメントがすべて受け入れられており,技術的にも問題はないと判断して,賛成投票を行っている。
FDISは賛成多数で承認され, 1999年12月のSC34(JTC1の再構築後のSC18/WG8後継委員会)総会で投票結果が確認され, 国際規格出版のためのISO/IEC 15445の最終テキストの編集が行われた。ISO/IEC 15445は, 2000年5月に発行[7]された。
国内でのFDISの審議に際して, その審議メンバは, 既にこの規格のもとになったW3CのHTML 4.0に基づく製品が生産,使用されているために, 整合のとれたJISを制定することを工業技術院に提示し, 規定内容が基本的事項であってしかも利用者が不特定多数であることにより, 完全翻訳によるJISを推奨した。これに基づき, 前述の"文書処理及びフォントの標準化調査研究委員会(DDFD)"は, ISO/IEC 15445の翻訳作業を行い, 2000年5月にJIS原案を工業技術院に提出している。